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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

阿Qとその周辺・・・



 最近本読んでます?と少し前聞かれた。

 時期として、活字を離せないときもあったことを考えると、そういう意味では読んでいない。

 オット、塗装やその他、技術書は読んでいる・・・が、これは携帯や餅つき機などのマニュアルを読むのとさして変わりはないので、それをして読んでいる・・・とは到底言い難い。

 そんなこんなのある時に、通りかかった高円寺、かつては軍手で古本探しをしては店員に間違われた街であるが、そこの古書センターで古本市をやっていた。冷やかしてはみたが、どれをとっても購入意欲が湧かず、最初は出物がないからか?とも思ったが、どうもそうではないらしい。

 自らが変わったんだな、これは・・・。かつては、目をギラギラしては、取りあさっていた店主であったが、本に関する立ち位置というものが、確実に変わった・・・と思った。

 と、その時、岩波の日本思想大系に収められている道元の正法眼蔵が上下巻5百円で売られていたのだ。

 「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり」。

 で始まる、難関の書である。もちろん一生かけても、読み解かれるものではなかろう・・・、と思ったとき、人生には読むべき本、読み解くに値する書など、ほんの数冊に過ぎない、のではないか?と思った。

 その他、読み替え読み捨てていくものなど、仮に良書とて、それらの注釈に過ぎず、その他はそれ以下のマニュアルや時間つぶしに過ぎないのではないか?

 万巻の書を読破するというのもいいが、店主にはこれと決めて一書をジックリ眼光紙背に・・・と、できればそちらの方が向いているのかも知れない。

 導入長くなり、大変失礼。最近、久々に「阿Q正伝」を読んだのでした。

 阿Q・・・、中国近代、とある田舎にいた日雇い労働者の名前。特に何ができるわけでもない、ある意味その辺の凡夫なのだが、少しばかり自意識が過剰・・・、自尊心が少し強いという癖をもつ。そのためか、周りのものからはからかわれやすい、バカにされやすい人物でもあるのだが、それをしてまた「自らを軽蔑できる第一人者」と称するものだから、よりからかい甲斐のある人物でもある。

 この作品は、阿Qの滑稽さとも憐れさとも思える人物が中心に描かれているが、その背景として、ネガとして描かれている、阿Qを時にからかい・さける側の表に出てこない「衆」の存在が暗示されているところが、すごいところかな?

 物語は、この阿Qと地方の実力者である幾人かの旦那とその周辺、そして先の「衆」という約三種の交わりとして描かれていく。

 通常、バカにされながらもめげずに、論点をズラしつつ自尊を続ける阿Qだけに、そのいじめ甲斐から、孤高ならぬ孤低な生活を送る阿Q。それが「城内」というところで、そこの旦那の周りで働いたと言うことで、今度は「衆」の方が阿Qを多少の「尊」の目で見るようになる。

 身なりが良くなって、巾着にも銅線ばかりではなく銀銭・金銭なんかをしのばせての再登場。「城内では革命党の奴らが首ちょん切られるをみた」という情報通にも。地元の旦那の方もちょっと瞠目、「さん」付けで阿Qを呼んだり・・・。まあ、科挙やそのた権威にいように弱いようだ。

 ただ、どうも仕事というのはこそ泥だったようで、羽振りの良いのも長続きせず、また元の日雇いへ。しかも仕事が減って来る理由を他の弱いものへ向けたりと、まあ、その程度の低俗な人物として物語をうろついている・・・。

 現実で割の合わない生活を送る阿Q。夢で見るのは、最近辛亥革命で力を付けてきた、白装束に白カブトを身につけた革命党に自分も入党し、街の実力者や金持ちの家に押し入り、資材没収・・・。アレがあったらいいなあ、これがあったら、オレのねぐらにもってこようなど、革命党に名を借りた公認の盗賊になることを夢見て、寝入るなど・・・。

 しまいには、自分をふったりバカにした女達を、革命党に入党したらどうしてやろうか?などと品定め・・・もう最低・・・という体たらく。

 細かい物語の展開はいいとして、この阿Q、自分よりいち早く、地元の有力者のセガレが革命党に入ったことを知りガックリ・・・、しかも統率の取れていない革命党のアチコチへの略奪の嫌疑をかけられ、なんと銃殺の刑にあってお終いという、オチになる。

 刑場に送られる車の中で、自尊心の第一人者でもある阿Qは「人として生まれた以上は、たまには首ちょん切られることだって、ないわけではない」とぼんやり思うという余裕をかますも、さすが人間への洞察の深い魯迅、最後の最後に・・・。

 刑場に送られる阿Qに対して「いいぞ!」とはやし立てた「衆」の眼を、かつて自分が山で遭遇し追跡された野生のオオカミの眼に例えている、「残忍な、それでいて臆病な、きらきら鬼火のように光る眼」に例え、最後の最後心の中でこう叫ばせる。

「助けて・・・」

 誠に人間への深い、そのまた深い洞察に満ちた作品というのは、時代や地域を越える。

 もう娯楽に属する小説など読む気はない。書いては消費されるだけの記事など切り抜く価値もないような記事など、読む気もしない。

 ただ、単なる消費というところから離れ、シットリと熟成されてきた文学というものの力は、やはり迫力が違う。

 ゴミを売っている新聞等は、すでにある政党が過半数越えで政権与党に返り咲くといっているようだ。一体全体、この林立している候補者という方々は、何者なのだろうか?

 革命という崇高な理念を遂行のために・・・などというところからまったく離れて、単なる権力欲、物欲、消費欲、性欲にぼける阿Qを笑えるのだろうか?

 所属政党をコロコロ変えて、政策も公約もマニフェストとやらもコロコロ入れ替えて、公示後ですら、口頭にて主義・主張を平気で入れ替えして憚らないような輩、自分が当選さえすればいい、としか結果的には考えていない奴らが、一体阿Qを笑えるのだろうか?

 まあ、阿Qはいい。

 問題は、こちらの側かも知れない。表に立たず、常に阿Qのネガでしかないながら、阿Qの行方を何とはなしに、時には強烈に方向付けを行うような、無責任で忘れやすい利己的な「衆」であるこちら側なのかも知れない。

 阿Qにしろ「衆」にしろ手を変え品を変えて、ある時代ある地域に出現しては消え、出現しては消えていく。

 現代の阿Qを選んではいけないし、現代の「衆」になってもいけない。

 どこへ行きますか?

 阿Qも「衆」もいないところに決まっていますよね・・・、可能ならば・・・。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
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