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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

アマンドラ! わが師の死



 このお方の追悼といえば、これでしょうな。

 
 
 この歌はまだアパルトヘイトが猛威を振るっていた南ア時代の真の国歌として、歌われていたものです。今や正真正銘の国歌になったようです。また、南アだけではなく、例えばタンザニアなど、いくつかの国の国歌にもなっているはずです。

 店主の師の一人であった、ネルソン・ホリサーサ・マンデラ氏が亡くなられました。

 ホリサーサーというのも、日本語表記では、シャーシャが近いかも知れませんが、正確には「サ」ではなく「サ」と「シ」の間で、噛みしめた歯から息を漏らすようにして発音する、と今から二十数年前、日本共産党しか援助しなかった、ANC(アフリカ民族会議)日本事務所に派遣された、ジェリー・マツィーラという人物から習いました。

 店主の20代、ろくなことはしていませんでしたが、その中でもやっていたなあ・・・と今思えるのは、日本の中で反アパルトヘイト運動をやっていた団体で、ボランティアしていたことかなあ・・・。

 ANC東京事務所開設一周年の祝賀の時、東京のすべてのアフリカ大使館が集まって、大使夫人らが1人一品持ち寄りでパーティーをやったんですねえ。司会はサンコン。

 店主はその時デカイすし桶二杯分のちらし寿司を作って持って行きました。

 台所控え室で、鮮やかな原色をセンス良く身にまとった、アフリカ夫人達があれやこれやと、暖め返しや、皿に盛るなど大にぎわいの中で、あたかも絵画のように色とりどりの具を配置していく店主の手さばきに、何度「ラブリーー!」と感嘆させたことか・・・。オノラリーウーマン、つまり名誉女性ともよばれたことも。 

 いろんな貴重な体験をさせてもらいましたね。

 ネルソン・マンデラといえば、南アフリカの父と呼ばれていた方です。

 ちなみに余談になりますが、この方は南アフリカの母と呼ばれた方です。



 ミリアム・マケバという、お母さん。

 話を戻しますと、このマンデラさんが1990年、始めて来日されるという日に、バスをチャーターして成田空港に迎えに行ったんです。

 出てきた瞬間、背が高い!後光が差していました。周りは騒然となりました、外務省職員がそれを察知してか、通常の通路をショートカットして、我ら群衆をかわそうとした時、長身のマンデラさんをしのぐアフリカの大男たちが、マンデラさんを囲って、あたかも御輿を担ぐように、外の車へと移動していく「アルッター!」と叫びながら、拳を振り上げて。すごい迫力でしたナー。

 若き店主もショートカットした先に駆け寄って、なんとかマンデラさんの肩に触ることができましたわ。スーツに肩パッドが入っていたのが印象的でした。

 彼は南アフリカだけではない、アフリカ全土の父だった・・・。来ていた西アフリカ、東アフリカの人たちもマンデラさんには希望の光を見ていたんじゃないか?だって、あの迫力は、あの尋常ではない迫力は、地の底から吹き上げてきたような迫力は、数百年もの間、アフリカにもたらされてきている重圧の裏返しではなかったか?と思う。
 
 車に無事乗ったことを確認して、飛行場から出る時、店主は毎日新聞の記者からインタビューを受けた。

 店主もそのアフリカ人達の迫力の裏返しというか、尻馬に乗りたかったというか、あてられたというか、自分もマンデラの息子になりたかったせいか・・・で、マンデラ氏のことを「有色人種の父」と称したことを記憶している。多分1990年10月28日の毎日新聞の縮刷版には、そのような記事が載っているんじゃないかと思う。

 その後、日本各地で行われた行事には行けるだけ参加して、ボランティアしたわけですが、演説その他に関して、あまり評判が良くなくて、なんか金くれー、って来た感じだネー、という声もちらほら聞こえてきたんですね。

 そう、かつて武装闘争も持さないという、ウムコント ウェ シズウェ(民族の槍)の長ではなく、今や次期政権のVIP・・・、色々あるんだろうと思いました。

 そんなことはどうでもいい。その来日の中で知り合いから聞いた、一つのエピソードが店主の生きる一つの重要な典型になっていること、これなんですね。

 ませた小僧で、一緒に活動していた当時中学生だったS君のお母さんは離婚したあとで、確かマッサージの勉強をしていたはず。

 その彼女が、マンデラさんのマッサージを来日の間やらせてもらえないか?と申し出て、それが通ったというんですね。

 短い来日期間、過密スケジュールだらけで大変だったマンデラさん。一日の疲れをこのマッサージで癒していたらしいんです。大変気に入ったらしいですねえ。

  彼女曰く、当時七十近かったマンデラさんの体は、青年そのものだったということ。

 ともう一つ、これが重要なエピソードなんです。

 一日のスケジュールを終えて、横になるマンデラさんに、せっせと施術する。すると色々と質問してきたそうなんですね。その他愛もない質問に片言英語で答えながらやっている、と。

 「マンデラ議長、明日のスケジュールに変更があって・・・」とチョクチョク秘書の方から横槍が入ったということなんです、あり得る話ですねえ、忙しい方ですから。

「子供はいるの?」

「ハイ、男の子が一人」

「いくつ?」

「中学生です、ワンパクで・・・」 

「元気で何よりだ・・・、将来は何を希望しているのかな?」

「別れたお父さんが新聞記者だったんで・・・」

多分こんな会話が続いていたんだと思います。そんな時に、例の秘書によって中断される。中には、随分と長く中断されたことがあったらしい・・・。

ところが戻ってきたマンデラさん、また横になると・・・

「彼もお父さんのように新聞記者になりたいのかな?」と、先ほどとぎれた話から、即また話を繋げてきた、というんです。

 それも一回や二回じゃない、毎回さえ切られるごとに、切られたところから話の続きをしてきたという・・・。

 この話が、その来日した際の、店主にとって最高のエピソードとなったわけでした。

 マンデラは、どんな人の話もしっかり聞いて、会話している人なんだ、ということ。流していない、通り一遍の話ではなく、しっかり聞いていた、ということに衝撃を受けたというわけです。

 以来、店主の人生のテーマは「人の話をどこまで聞くことができるか?」ということになりました。

 それは単に頷いているだけでなく、いわゆる聞き上手と言うだけでなく、時に共狂いも持さず、時に君主和して同ぜず、でもありながら、その根本は他者という価値を成立させる、人間にとって最も根本的な動きなのではないか?というテーマであります。

 その師が亡くなられた。

 店主は思う。このちっぽけで不完全な人間という動物に、尊厳というものがある、ということを信じて戦ってきた流れというものが確実にあるということ、そして、その流れに、例え足の指の先だけでもつけながら、その流れに寄与することがなければ、人生などというものは全く無意味である、と言い切ろう!

 師よ、あなたが刈ってきた下草を 後から続く者達が迷わぬように 私も小さな鎌で刈り続けましょう。お守りあらんことを!

 合掌
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
TEL・fax042-445-0487
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