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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

遺志を継ぐもの達



 日頃の説法姿勢をかわれたか、欧州への三ヶ月の布教を認められて帰国した、高僧の卵であります。

 先日お忙しい中、半日、寄っていただきました。

 仏の国、フランスとオランダを回ってきたようです。

 ことにオランダが・・・すごかったと。すでに仏教者の姿勢としては、日本などはとうのむかしに抜かれている・・・とさえ、言い切った。

 自転車にたとえるならば、自転車競技の本場はヨーロッパかもしれないが、極東に根付いた競輪の歴史もそれなりの展開をしており、独自の自転車競技の歩みを持っている!という自信と誇りに満ちあふれ居てる・・・様なものか。

 曹洞宗の本場は日本かもしれないが、ここオランダでは、教義の上で決して負けていない質量を持っている、むしろ本場などと油断している内にそちらこそ形骸化しているのではないか?というきつい問いを突きつけられてきた・・・という。

 フランスなどは、永平寺などに連れてこられると、その荘厳な形式美に絡め取られる傾向があるとはいえ、オランダは孤高の独自路線が、何とも刺激的であったという土産話。

 店主らは、それに聞き入り刺激を受ける。

 さーて、この高僧の卵。実家大田原で檀家さん達が待つ、そして寺を継ぐという立場でありながら、今後の身の振り方をどうしていくか?もし自由が許されるならば?というこちらの質問に。

 出家の出家をしてみたい・・・と、ボソッという。むしろ座禅を広めたいがため、各地で在家でありながらも細々と座線の会を営んでおられる方々より、大いに学び、自分の行くべき道を見極めたい・・・と。

 と、もう一つ。欧州にて、他宗の日本の若い僧と交流があったそうで、自力と他力について、宗派を越えて夜通し話し合ったという。

 これら二つの話を聞いて、とりあえずは仏教者と自らを位置づける店主としては、ある一つの、とても重要な、形式以前のマグマのごとき新しい仏教の流れの予感がしてならず、うれしい。

 馬の耳に念仏というが、果たして、人の耳に念仏と化していないだろうか?つまりは、現集金システムの確立した「仏教」は人お馬と化してはいないか?ということであります。

 法事でもいい、葬式でもいい、坊さん達が恭しくお経を唱えています、その意味をご存じの方はいますか?それ以前に、どういう意味なのか?ということを疑問に思っておられる方って、どのくらい居るんでしょうか?ひたすらにありがたがっている、だけなのではないか?そして今の仏教界のほとんどがそうした状況を作り、単純再生産することでヨシとしすぎていないか?

 岩波文庫でも言い、法華経、浄土教三教なる書を開いてみて、その現代語訳を読んでみて欲しい。ちゃんと意味あるんですよ!しっかりしたメッセージがあるんです!

 でも、漢語をそのまま音読しているだけで、意味など通じるはずは、通常はありません。それで良いのでしょうか?

 店主は、この高僧の卵がまだもっと若い学僧のころから、お前こそは現代語訳で、読経するものなり、とずっといってきたんでありますが。

 それが独自の形として、結実するやもしれない。もちろんすぐできるはずもなし、そして現実的な制約も山とある、さーてどうするか?これが本当の修行なのではないか?所作と形式を覚えること以上の修行とは、現実の制約を抱えながら、一歩でも自分の理想をどのように形にしていくか?その落としどころをどこに求めていくか?様々な縁を大事にしながら、そこを確立していこうとする課程こそが、真の修業のように思うのだが・・・。

 そして、もう一人。

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 九州に渡った、片腕。

 思えば、上の高僧卵と、この篤農家。ほんの数年前では、ちょいと電話すれば、集まっては語り明かした仲であったのだが。

 二人ともに、2012年、ほぼ同時に、店主の下を離れ、高僧は名古屋へ、篤農家は九州大分へと、居を移していった。

 その喪失感たるや、両腕をもぎ取られたがごとし。

 そして、この二人、今回一週間という短い間に、非常に接近しつつも、ニアミスにて、会うことはできなかった。

 ほんの数年前には、電話一本で、集まれた仲であったのだがなあ。

 何も僧侶だけが得度するのではない、出家するのではない、のではないか?と思う。

 僧侶ならば僧侶として、農業者なら農業者として、そして自転車屋なら自転車屋として、出家することだってできるはずであるし、必要であるなばら、出家すべきなのではないだろうか?

 既存の制度や形式、あり方や展開にひとたび疑問を持ったのであれば、それらをぶちこわす!などという大それたことなど迂回して、別の層を求めて動き出す、という素朴な探求のあり方でいいと思うのだが、そうしたあり方を称して、出家とは言えないのだろうか?

 店主の若いとき大分影響された、詩人の石原吉郎の一行に「革命 ああなんたるおせっかい」というものがあった。確か卒論の後書きに引用した覚えがある。

 この言葉がずっと引っかかっている。

 人々をいやが上にも巻き込んでいくようなおせっかいな「革命」なる動きなどに殉ずる気などは一切無い。

 そんなことより、志を一緒にするものと、それまでとは違う層を求めて、勝手に動き出すこと。面白いと思ってついてくるものあれば、自ら巻き込まれたいというものは拒まず、途中でつまらんと思って出て行くものも追わないし、そしてそもそも興味が無いというものには、目も向けないような自適な動きをしていく。

 そうした動きが続いていくことで、何か起きるかもしれぬし、起きてもすぐに終わるかもしれぬし、実は主流に関しては何も起こらないかもしれないが、とにかく動きを作って行くことを志す。

 単純には、既存の枠から飛び出し別の形を求めて彷徨することをもって、出家といって良いのではないか?

 だとすれば、多くは出家を目指してもよいと思う。

 出家を目指さないものに、隙間は見えてこない。隙間が見えてこないものには、自立、共立はありえないのではない様に思う。

 今の世の中・・・などと大上段に語れるような甲斐性は今の店主にはないものの、これでよいわけはないのはわかる。もっとより良くしていかなければならない、と思う。さて、それはいかにしてか?

 かつての、革命のイメージは、ナイルのごとき大河に対して、それと同規模の運河を人為的に掘り、境を決壊させて劇的に流れを変えていく、という大それたものでありすぎたように思われる。その結果、何のことはない度しがたい常時戒厳令下の官僚国家と成り下がっていったと思う。

 そうでなくて、ある主流と思われている流れに横溝を掘って、別の小さい流れをあちこちで、起こすことなのではないか?ナイル川よりも蜘蛛の巣のごときの網の目であるアマゾン川なのではないか?すべての水が海へと流れるんではなく、ある流れは地下水へ、また別の流れへと合流していくようなそういう静かで根強いイメージなのではないか?などと夢想するのであります。

 各方面で主流といわれる流れから多くの横溝を掘っていくことで、主流と支流の区別すらできなくなっていくような動きを作ること。

 これすなわち、各分野での出家を意味するのではないか?などと思うのであります。

 僧侶は出家の出家を、篤農家は農の出家を、そして自転車屋は自転車の出家を通じて、結果として世がより良いものへとなることをねがう・・・でいいのではないか?

 ここ数日、店主の夢想が過ぎるようだ。自転車業に戻ろう、もちろん出家した自転車業にだ。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて十年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
TEL・fax042-445-0487
携帯070-5083-6962
アドレス to.ke@mx1.ttcn.ne.jp
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