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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

自転車だけじゃあね・・・



 昨年暮れ頃送られてきた、今年のカンパニョーロのコンポ類には、お前は既に死んでいた・・・とすら思ったわけだが・・・。

 時間が経るたび、その痛手のデカさを思い知るに至る・・・。

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 本当こんなんでいいの?とすら思う、いや、ダメだと店主は思うんだが・・・。ご来店のお客さんの中でも、それはないよな・・・という方は少なくない。

 上級コンポなんの違いがあんだか知らない、スーレコやレコードらは、F1のレースコンポだから、ご勝手に。ズーと下がって、ポテンザ?何でこんなの作ったの?まあ、いいやこれも勝手にどうぞ。

 ベローチェ君さえあれば、まあ、あるタイプの鉄フレームの活かし方としてはありだから、がんばってねー・・・と思っていたんだが、今年はそのベローチェを外し、出戻りケンタウロ11sなんてもんを出してきた。

 上下の写真、ほとんど区別つきません、こんな近似のコンポを作って何考えてんの?自分たちが作ってきたイタリアの伝統美をそんな簡単に外していいのか?

 いやマジで困った・・・というのがマジなんだが、勘弁して欲しい・・・。こうなったらベローチェ復興運動でもやりますか?とすら思うんだが・・・。

 しかし、ふと思うと、何でこんな事態にいとも簡単に低落していくのか?単に売り上げの問題なのか?他に、5アームのクランクがこの世にあってはいけない理由でもあるのか?

 こんな重要なことが、どこぞの会社の一角内で決められ、それが今年のコンポでござーい!と提供されるものをコチラは口を開いてそれらを受け取るしか無いのか?

 正直言うと、この店主はクロモリフレームに、4アームなんか付けたかネーよ!もちろん希望する方には提供しますよ。でも、自ら進んで作りたくはない。

 なんでか?かっこよく感じられないから・・・、以上。

 何でこんなことが起こるのか?いとも簡単に起こってしまうのか?こういうことを考えてみたんであります。

 なんででしょう?

 一つ思いつくとすれば、コチラ組付け側、自転車店・・・側に何らかの責任はありゃしないか?ちなみに、当店は一年でどこくらいのベローチェを仕入れるんだよ!と言われると、まあ・・・それは大した量ではありません・・・としか答えようがない。

 でもね、4アームものはまだ仕入れていないんだよ!と言い返せるが・・・。

 まあ、ある製品流通の決定がなされるには、経済原則が介在するというのはあるだろうと思う。でもね、今までのベローチェの売り上げと、これから出るであろう出戻りケンタウロとの差が開くとは思えない・・・。それとも生産時の経済性か?

 それはいいとして、経済原則だけではない、これほどの軽薄な!と思える経営判断がなされる背景に、こちらサイド、自転車屋サイドに何らかの責任は無いのか?と問うてみる価値は大いにあるだろう。

 たぶんそれは、自転車屋が自転車しか見ておらず、自転車しか作ってこなかったことに対する、メーカー支配率の高さが原因の一つでは無いのか?と思えないか?

 新しいコンポができると、大手のメーカーは製品の説明会を全国各地で開いたりするようだ。店主はもうかなり行っていない・・・が。

 そんな会場で、「11速とか、ディスクとかもいいけど、もう少し普通に大人が自転車を楽しむためのコンポってないの?」とか言う声は上がるんだろうか?

 つまり、メーカーから作られてくるものを一方的に受け入れて、そのアピールの説明を聞き入れて、新施工を習って帰る、質問もその範囲内でのものに限ってしか出てこない・・・のではないか?

 組み手・売り手はメーカーに言われるままに、新製品を使わざるを得ないところになんの疑問も持たない・・・、そういう風になっているんじゃないか?

 自転車屋というものが、メーカーの企画したフレームに、コンポメーカーの企画したコンポとホイールを組み付けるだけだとしたら、早晩手先の器用なAIなどが登場すれば、閉店せざるを得ない。

 自転車屋が自転車しか見てないで、唯々諾々と自転車を組んでいるとしか思われていないから、メーカーはメーカーサイドの都合でしか、もの作りをしなくなる、のではないか?などと乱暴な立論をしてみる。

 もっと自転車をより文化として捉えて、活動しているとしたら、こういう事態には簡単に陥らなかったのではないか?なんて思わなくもない。

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 ピスト車だが、これは自転車だけの広がりでは無かった。それ自身が安っぽいか否かは別として、車体としての自転車だけでなく、その背後に何らかのスタイルというものを背負っていたように思う。

 このブームが持ち込んだものは、自転車パーツに今をも残る影響を与えていった。

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 黒と銀しかなかった自転車パーツに色を持ち込んだのである。殺風景だった自転車パーツカタログが、これを機にカラフルになっていった。

 競技志向、ツーリング志向という二つの主流しかなかった中に、美容師、デザイナー、ファッションという別分野からのセンスというものが、それの指標になる「かわいい」という言葉とともに、自転車界に流入してきた。

 いくつかの問題は別として、自転車を単なる自転車だけでなく、一つのスタイルの象徴として浮き彫りにさせたというのは、それまでにはほとんど無かったといっていい、手法だったのではなかったか?

 翻るに、このようなある種のスタイルというものをバックボーンに、もし自転車文化というものを成り立ちせしめていたとしたら、果たしてメーカーはメーカー都合をのみを優先してもの作りはできないだろう・・・。

 もちろんレースコンポはより早くより軽くという原理があるので、その原則に従ってものを作っていけば、レーサー達は有無を言わずそれを受け入れ、試し、実戦投入することに躊躇はしないだろう。

 しかし、速さだけ、勝負だけではない、より多様で、深遠で、訳のわからない文化領域としての自転車に関わるのであれば、ことはそう簡単に判断できるものではない。メーカーも、自転車屋サイドも相互に仕掛けあい、乗り手もその挑発に乗り、また乗り手より厳しい挑発も受けるという、時にピリピリした緊張関係の中で、自転車というモードが決まってくるとしたら・・・。

 一つのスタイルの提案、時に生き方の提案にもなり得るような世界を構築した中に自転車という物を置いてみる、そういう見せ方を果たしてしてきたのだろうか?物だけではない、意味の空間の中に自転車を置くこと・・・。

 詳しくはないが、そもそもブランドという事の発端は、こういうことなんじゃないか?と最近うつらうつら考えることがある。衣服などに比べると自転車はまだまだ甘い。そこに葛藤やテーマがないから、意地もない、せいぜい安全に乗れる物しかないから、メーカーに軽薄な判断もさせてしまう、つまりはなめられている・・・という事なんじゃないのか?

 さあ、今年からは、モードだ、スタイルだ、ブランドだ!多角的で重層的な意味の空間の中で、どう自転車を置いて見せていけるか?その辺が勝負になりそうだ・・・、なーんて、デカそうなことをほざきつつ、明日も西東京の一角で、ディスクブレーキの音鳴りに混迷するんであります。
 
 でも黙っていたらなめられる、カンパの本社にでも、英語でいいんで、プロテストでもしますか?スタイルを考えつつ・・・。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
TEL・fax042-445-0487
携帯070-5083-6962
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