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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

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参りに参ります



 ちょっと前までは、なじみの風景が、今は少し懐かしい、となってしまった中越、稲穂の風景。今年は水が少ない、ということらしい。

 三十の後半から四十代いっぱいをお世話になった地域であります。まるまる十年強、長いようであっという間でした。その間には、米作りのまねごとなんかもさせていただきまして、今となっては人の作った米を食べるなんて「異常」事態が発生しています。

 本当今思えば四十代は中越地域、ことに田麦山付近とともにあったと言ってもいい、もっといえば、二人の菩薩の元に付いていたと言い換えてもよかったかもしれない。

 言われるところの第二の故郷なんて言葉がある。ということは第一の故郷はすでにあると言うことか。

 確かに、自分では選択不可能な時期、つまり生まれたて時期に過ごしたところが、いやも応もなく、第一の故郷と言うことになっているらしい。

 そう言うと、店主にとっては杉並の成宗の付近といことになる。ただ、面白いのが、年齢的に選択不可能な、理不尽な時期であると言うこと、言い換えると生まれてから数年という、記憶も定かでない時期でありながら、そこで過ごしたところが「故郷」なる特別な言い方で言われ、ある意味決定的な影響力を持つ土地のように語られるということである。

 もちろん、その他親族や共同体との所属の問題などもあるので、ことはそう単純ではないことわかるが・・・。ただ、地方から出てきた方々の感慨が、より文学的?歌謡曲的?演歌的?バイアスがかかって、故郷、ふるさとというものを過剰な場として演出した来たという面もあったのかもしれない、といまでは思う。

 ちょうど、中学生が学校を卒業して、故郷を出て、親元離れ東京で就職する。慣れない土地、慣れない人々と慣れない環境に放り込まれ、ホームシック的感慨がヒリヒリするような感受性の中で上乗されてきた・・・というのも多分にあろう。

 しかも、交通網が不便だった・・・。鈍行に毛の生えたような列車しかなかった・・・。そして連絡網も整備されていなかった。公衆電話に並ぶ、気まずい呼び出し電話を借りる、かつては八時以降長距離電話が安くなる・・・というその時間を待ってかけたりね。

 それが、高速バス、新幹線、飛行機と交通網の整備、そして一人一台の携帯時代、無料通話は当たり前、無料動画だって何のその・・・、海外との間でスカイプつなぎっぱなし・・・、そうした技術面でのサポートによる、望郷の念の希釈はすさまじいもんだ・・・。

 まあ、逆もあっただろうなあ・・・。故郷がいやでいやでしょうがなく、逃げるように都会に出てきた人たち、これも多かったはずだ。ほとんど帰郷しない、思い出すのもいやだった・・・・なんてね。

 望郷の念も、その逆も、一定の年齢になると、落ち着いてきた、適度の距離に落ち着いて来る、なんて言うのもまた多いだろうな。そうした時期に感じられる「故郷」もまた、冷静で、すでにどこかよそよそしさがあったりもするのかもしれない、生活のベースは別にあるんだから・・・。

 改めて故郷って何だろう?と。

 店主にとっての杉並、すでに実家も取り壊され、新しい実家は今の西東京の店舗の過ぎ近くにある。そのため、わざわざ杉並に行く必然性はなくなっている。まあ、杉並と西東京なんて地続きには違いないが、あれほど地べたにくっついていると思っていた、五十年しみこんだ杉並への思い、地元への思いが、今や日常の生活の中で確実に薄れている、いや薄れていること自体に気をつけないと気づかないくらいである。

 況んや第二の故郷とはなんだろう?

 店主にとっては結論が出ている、自分で思っている以上にネコではなく、犬だったと言うことだ。つまり土地ではなく、人に付く、タイプの人間だった・・・ということかもしれない。

 土地より縁だ。縁が本質的なようだ。これははたして店主だけだろうか?さあ・・・。

 我々は自然の機嫌のいいときにそこをちょこっと利用させてもらい、その時の重なりを歴史といい、対処の形式を伝統などと言いながら、まさに碇を打ち込むように、あたかもそこに占有権のあるかのごとき振る舞いをしながら、居着いているようだ。

 ところが、自然が機嫌をちょっとでも損ねると、そんな虫どもの意向などお構いなしで簡単にリセットなんかをかけに来ることもあるようだ。その一端をほんの少し前、われらは経験したはずだ。

 そのほんのちょっと、自分たちの生存にとってたまたま有利に働いていた時期に、母なる大地に感謝し、自然にちょっと畏敬し、慎ましやかにその生きる場を確保していく。

 その内、そこをふるさとと、特別の意味を込めて呼ぶようになり、それが故郷となり、その辺まではいいが、それが故国なんてなり始めると、一足飛びに領土となるに至っては、当初の慎みは吹っ飛び、尊大、傲慢、独善きわまれりと増大、増幅し始めるに、たちが悪くなってくる。

 原点は土地より縁ではなかったか?これは店主だけではないはずだ・・・。だから新しい縁があれば、新たな「故郷」ができるのだ。その逆ではない。このことの意味は、今後この社会ではより重要な意味を持っていくはずだ。

 排外に向かうか?それとも新たな生きる場を作っていくか?という・・・、きわめて今日的な課題と直面するに違いない・・・。

 何の話だったか?第二の故郷?でしたっけ?

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 ちょっくらご無沙汰しています、中越に重い腰を上げたんであります。上さんの方が今や中越にダンスの生徒が集中し、月に多いときは二回くらい行ってます。東京にも生徒がもっとできたらいいのにね。

 そのダンスの合宿に使った、小国のキャンプ地に行ってきました。なんと西荻の知り合いが、この地に家をもらって住み込んでは、半農と、地域振興なんかで頑張っている・・・、ばったり会ったもんで、旧交をあたためたり。

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 この施設、たぶんバブルの時にそそのかされてやっちゃった系の跡があちこちに見える。豪雪地帯なのに、なんであの形状の屋根なの?

 雪下ろしどうすんの?

 まあ、当時は名だたる建築士に頼んだんで、こうなったそうだ・・・と。

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 当然当初の維持費など確保することもできず、市が買い取り、条例に基づき、現実的な管理可能なところを伸ばし、ようやく今日の形になってきた・・・ということらしい。

 こんなところは、地方にいっぱいあるんだろうなあ。地域の内発性を無視して、企業の売り逃げ的企画の口車に乗せられてしまったパターンだ。全く罪深い・・・。

 地域の内部を力を喚起するものを育てないと決して長続きはしない・・・。
 
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 ちなみに、この地域・・・だけではないと思うが、空き家だらけだそうだ、もらってくれる人募集!ということらしい。

 豪雪地帯の冬は厳しい・・・。とはいえ、一定の機械と協力でそれを乗り越えられたとしたら、冬の数ヶ月はこもることが可能である地域。こもる仕事、こもる製作、こもる活動を主にする人・・・、そういう作家達には、向いているといえなくもないかもしれない。

 こうした人たちの移住が、新たな縁となって、新たな地域の意味を作っていくかもしれない。もちろん保守的な人はどこにでもいる。ただ、そこにも尻に火がつき始めているとも聞く。

 地域に一人も子供がいなくなった集落がある。そうなると、中年以降の実力部隊の血相が変わる。どういう共同体を作っていくか?改めて人力、関係力というものが試されてくる時がすでに来ている、面白い時期といえばそうかもしれない。

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 この風景の少し先の小高いところに、田麦山の師匠の青山あり。

 墓石の前で、手を合わせてみる。いわゆる、露骨な意味であちらからの声はなし。墓石にしみいる蝉の声のみ。

 ただただ、まだまだです・・・、まだまだ・・・、まだまだこの程度ですというこの身をさらしてくるのみでありました。

 その後、一山越えて、もう一人の師匠のところに。一時に比べだいぶ元気になってきました。隠居小屋と称する、冬場の籠り作業場なんだが、そこがいっぱいになってきたんで、脇にトラクターの収納庫を作り、空間を空けようということをやっていた。

 その屋根かけのための、足場作りを一時間ほど手伝って、バスにて戻ってきた。

 行きかい慣れた道。縁なき第二の故郷なる空間なんかを想像してみたりもした。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

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〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
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携帯070-5083-6962
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