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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

台中を歩来ながら考える



 今回ちょっとゆっくり台中市内の本屋へ入る機会があった。かなり立派な本屋といってもいいだろう。子狸の漢字の本で面白そうなものがあった。

 あと料理系で多少高くとも、何かあればなあ・・・というのも探したりもした。そして書道の本。これがいいものが見つからなかった。まあ回ったのが二軒だけだったので、もちろん結論づけられることはなにもないんだが・・・。

 意外と日本文学の翻訳が多いのには驚いた。

 谷川俊太郎の詩の翻訳もあったなあ。

 そんなこんなで、書架を次々とのぞいていくと・・・。

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 こんな分野があった。ちょっとドキッとした。店主が若い頃かじっていた分野。もちろん学問でもあるので、地道な研究的側面は重要ながらも、この分野に入って来るものには、それだけでは済まない癖というか、病的なそれに近いものを持っているように思う。

 なので、経済学部や法学部のような誰でも出入りする分野とは全く異なる印象を持つ。

 やっているものに傾向がある、人としてのちょっと病的と言っていいような癖がある。そういうことをいつも考えていないといられない、性癖とでも言われるものがある、ように思う。

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 どんな本があるのだろう?と見る。まあ、哲学というよりもこの辺は思想・・・という分野かな?その両者がどう違うのか?についてはここでは触れない。

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 改めていうが、二軒しか回っていないので、これが台湾哲学会の実態とか事実とかに触れているのでは全くないということは、ここで厳しく断っておきます。

 そういう意味で、これ以降が戯れ言として、読んでください。

 まず、翻訳がないのに驚いた。ただ、予感はしていた。というのは、翻訳文化が成立するには、やはりある一定以上の数が出ないといけない。そういう意味で、翻訳本を持っている言語というのは、それを使用する人口によって決まるといってもいいだろう。

 なので、英語まあ、これは理解できるだろう、逆に言うと英語となれば、ほぼすべての人類の本が翻訳されているといってもいいんじゃないか?言い過ぎか?

 他には、中国語、ロシア語、そして日本語・・・くらいか?その他の言語での、その中でまた絞られた専門分野を扱う人数があまりにも少ないため、わざわざ母国語に翻訳することはしない、英訳のものを読め、で終わってしまう。

 さて、中国語なら、もっと翻訳があっていいと思うんだが、台湾は繁体字、大陸は簡体字・・・、この違いはでかい。モロ人口に反映されるとすれば、簡体字の中国語訳は多いだろうが、繁体字のものは当然少なくなってしまうだろう。
 
 そんな少ない言語に、わざわざマックス・シェーラーの著作集など翻訳されるわけはない・・・。

 それにしても、この本屋に限りかもしれないが、哲学書が少ない、少なすぎる。そして、そこに展示してある本から、たどれる痕跡のようなものもない、予感もできない。

 翻るに、今はなくなったが、ホウリン道、西武リブロ、東京堂書店などが懐かしい、あと書源なんかもね。

 ちょっと他国ながら愕然とする・・・。みんな忙しいんだ・・・。哲学なんぞやっている暇などない・・・のかもしれない。

 そしてハタと思い、洋書のコーナーに行ってみた。

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 翻訳されていなくとも、原書でそれなりのものがあるのか・・・と思いきや、その書店に限りそれは見受けられなかった。

 別にいいのだ、哲学の有無など、その国の価値とは全く関係のないことだから、そもそも半病人の慰みのようなもんだ・・・。

 としつつも、ちょっと日本近代のこの150年、色々ヤバイことも、どうしようもないこともしてきたが、学問に関しては文系理系問わず、よくやってきたものだ・・・とちょっと感慨深く思うところがあった。

 富国強兵の脇で、哲学本の翻訳なり、京都学派なりなんなりが、曲がりなりもの成立していた・・・ということ。そして日本文学・・・、店主は私小説偏重のそれにはちょっと思うところだいぶあるが・・・、それでも一つの分野を確立するくらいの質量はあるといってもいいかもしれない。

 国力なんて言葉はあまり使いたくもないし、そもそも使う甲斐性など店主にはないとは十分わかりつつも、やはり本来の意味での総合力なのではないか?と思うんだがな。

 その総合力から、GNPだのGDPだの、成長率だの、とあるわかりやすい部分を引き出し、国防費、食糧自給率、開発力・・・というように絞り始めると、まあわかりやすくはあるんで、それがあたかも総合力かのごとくに勘違いされるんだが・・・。

 そんなわかりやすいもので国の力なぞを計ったつもりでいると、抜け落ちるものは致命的にならないか?とすら思う。

 多分そんなことをやりながら目指していくとなると、そして気づいたときには日本はシンガポールのような国になってしまっているかもしれない。

 別名明るい北朝鮮・・・、仕事はしやすい、投資はしやすい、各国から人が集まりビジネスをするには事欠かない、でも政治的自由には制限がかかり・・・そして何よりも、シンガポール文学なんて聞いたことがないように、そうしたビジネスからすれば対極にあるような文化的活動は死に絶えている・・・。

 そういう意味で数値換算などは天才的で、処理や分析、解析に明るいだけの、ウィットもシャレもかきない、面白くもおかしくもない国へと「衰退」していくしかないだろう。

 そしてそれは、ゆくゆくは本体のビジネスとやらにも響いていくことになろう・・・。

 そういう意味で、日本近代の150年は、色々あったが富国強兵のその脇で、翻訳文化を育んで、哲学なんぞの虚学中の虚学の存在を許していたというところは、なんと評価していいものやらだが決して悪いものだけではなかったはずだ。

 その辺の話はこの近代日本150年内の話としてなんだが、今後150年後となると、一体この国はどうなっていくんだろうか?と少し心配になる。

 ある仏文学者が言っていたが、今後この国に、フランス文学専攻者、またはフランス文学研究者は出てこないであろうと予言しているんだが、残念ながら店主もそう思う。

 で、哲学者は?というと・・・。まあこっちの分野は病的なところがあるので、必ず人口の一定数はその手のもの入るんだが、学問としての存続は難しいかもしれない・・・と思う。

 これらすべて、昨今の教育行政と、企業側からの要請による、シンガポール化計画のなさる技なのではないか?と思う。

 ただし、コレも予言しておくが、この手の文系殺し的施策は、必ずビジネスシーンにとって悪い影響をもたらしていくだろう。

 二言目にはスティーブ・ジョブズのような人物を財界などは欲しているらしいが、今の現状の延長上で、あのような人物は決して登場しないし、したとしてもつぶされて長続きしないだろう。

 総合力を上げていくことにとって、いかに遊びが重要か?気づいたときにはもう遅いんだよ・・・。

 少なくとも近代日本の150年は遊びも含めて結構やっていたんだ・・・とちょいと見直していたんだが・・・。そんなこんなで歩いていると、こんな所に出くわした。

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ここで一つクイズです。

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 この展示に間違いがあるんじゃないか?と店主は思うんだが・・・おわかりになる方いるかな?

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 自然科学博物館なんで、こうして人体の秘密・・・などの展示もあったんだが。それだけではなかった。より文化的なものもあったのだ。

 例えば台湾に存在する、先住民の紹介を兼ねた展示。

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 この手の工芸を紹介する展示。

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 これは漆器の中の、堆朱という技法じゃないか?と思う。漆を分厚く固めて、それを彫っていくという・・・ね。

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 このような水晶玉を削っていく工芸なんかもね。

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 まあ、あんな固い素材を、よくまあここまで・・・と思うようなものもイッパイあった。

 あと、中医学、漢方の展示もしっかり場所をさいて紹介されていた。

 それらを見回りながら、ちょっと気づいたこと・・・。

 中国文化の古い成り立ちの中で、日本が積極的にそれらに関わってできているなんてことはほぼ皆無、といっていいことです。

 先ほど日本近代のこの150年は、結構広い範囲で頑張ってきたようだ・・・と思った矢先のこの感覚。日本近代の以前の段階で、中国文化に影響を与えた功績などほぼ皆無なんじゃないか?

 逆に日本の各分野の成り立ちを見るに、より古くなればなるほど、中国からの影響がないものの方が少ない・・・。ほぼすべてといっていいくらい起源は大陸から来ているといっていいだろうね。

 ちょっと頑張った日本近代のこの150年、その後はどうなっているのか?どうなるべきなのか?この小さい存在が、欠くべからざる形で、一を占めていくためには・・・一介の自転車屋が考えることではないながらも、半分病持ちの哲学徒は考えざるを得ないのであります。

 仕方ない、もう少し考えていくか・・・。それしかできない・・・。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

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〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
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