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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

ジャンクアート考 八日まで



 今、当ギャラリー狸サイクルで展示している作品です。

 題名は、店主が勝手に付けてものですが、「不感症メ」。

 岩井画伯、今回の作品の多くは新聞紙の上に描かれています。

 090306e.jpg
こちらなんかも新聞紙の上です。

後々紹介する作品も結構廃材なんかを利用して作られたものが多く、仮名ですが、こうした廃物を利用した作品をここではジャンクアートということにします。

 店主は、絵画や彫刻的な素養がほとんど無い分、文章や言葉に過剰に近く反応する傾向がありまして、そういう店主から見ると冒頭の絵の題名がどうして付いたかというと、その理由はよく見ていただければわかるでしょう・・・。

 犬の散歩をしているグラマラスな女性の右脇に「感じない」なんていう、一文があったりします。そこからそう見えてしまうんですね。

 新聞の印刷の色合いなどを利用するのも面白いですが、バックにある記事との関連でさりげなく絵が展開されていったら、これはこれで面白い作品になるでしょうね。さりげなくでなく、これ見よがしにやったら、風刺絵になったりするかもしれません。
 いずれにしろ、素材の持っているものとのコラボという感じで、真っ白い無垢な紙に書くのとはスタート時点からして異ってきます。

 そういう意味で、このジャンクアート的な手法は、手にかかる対象自体がすでに有意味(半有意味)なものであるため、作品は作家による接ぎ木的なおもしろさが期待できます。たとえば・・
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自転車の車輪の軸、つまりハブを利用した人形。ハブ人形。
あとこれが意外と人気な
090306ri2.jpg
ハブシャフトを利用した動物。
通称ハブ犬、などです。

 でも、それだけではないでしょうね。

 もうちょっとうがった見方をしていけば、経年のおもしろさ、というのも大いに期待できるでしょう。例えば、今から百年経ったとします・・・。

 百年経ったら、もう土台のジャンクたちがそれだけでありがたくなってきませんか?つまり、畳替えの時つい読みふけってしまう古新聞。それが百年前のものだったら・・・。

 それだけでありがたいですね。ハブだって、鉄がさびて、それなりになって、プラス百年前の民具としての価値、もう少し踏み込むと民俗学的な価値を帯びてくる、というようなことも考えられませんかね?

 二十数年前にとっておいた映画のビデオなんかを見るとき、その映画などよりも、間に入るコマーシャルの方がよっぽど面白いものとして鑑賞できるなんてことがあります。何気ない、価値がないと思っているから、通常はとっておかずに捨ててしまうものが、どこかにキチッと保存されていたりすると、その筋では高値になるなんてこと、往々にしてあるようですが、うがった見方をすれば、そういうものも含めて、ジャンクアートが持っている可能性というものもあるかな?なんて思います。

でも、そんなことより、もっと深い意味で、こうしたジャンクアートは本源的なんじゃないかな?なんて思うのです。

いくつか見てください。
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「燃える前の俗人」(勝手に店主名付け)
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「新聞上のアリア」(勝手に店主名付け)
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「引っこ抜き人形」(勝手に店主名付け)

なめんじゃねーヨ、と思う反面、どうも捨てられない、ジャンクアートの真骨頂でしょう。

芸術と人間!などと大上段に構える前、まだ人間の全体的な活動から、芸術というものが独立する以前、一体人間はどんなものをどんな思いで作っていたのでしょうか?

技術も形式も技法も、何も整っていないので、出来てくるものはすべからく稚拙で幼稚なものばかり。多分そうだったんじゃないかな?

でも、なんで我々の先祖たちは、そもそもなんでそんなものをわざわざ作ろうとしたのか?生存ということからすれば、取るに足らない活動になんで時間を割こうとしたのか?

この何かの萌芽、これがある意味で今日的にいう芸術などの活動の原点なんじゃないでしょうか?

ジャンクアートに、店主はそうした人間の本源的な何かを作らずにはいられなかった、何らかの萌芽が見えるような気がしてならないのです。

人間、生活に余裕が出てきたから、芸術美術が発達してきた。現象としてはそれは正しいでしょう。確かにそうなんです。いわゆる芸術家にはパトロンが今昔に関わらず必要なようです。

でも・・・、例えば、シベリアに抑留されて命からがら生還して来た人たちは「苦しい中でもユーモアを忘れない人だった」などという話を聞いたことがあるんですが、余裕があるからユーモアをいうのではなく、ユーモアを言うことでその都度失われそうな人間性を取り戻していたんだとすれば、芸術だって同じなんじゃないでしょうか?
 余裕があるから芸術活動をするんじゃない、それをなすことによって、人間性を取り戻せるような、本源的な表現活動として芸術があるはずなんです。それをそれとなく象徴するのがジャンクアートのような気がして仕方がないんです。

岩井画伯は、仮にこのまま経済的には売れなくても、電車や食堂で隣り合わせた子供なんかに、箸や駅弁の端っこを使って、その子たちを魅了し続けるでしょう。たばこの吸い殻に顔を描く、子供たちは「かわいい~」を連呼して、ケラケラ笑うでしょう。そこに大切な何かがない、などとは言わせないヨ。

八日まで岩井画伯の個展をギャラリー狸サイクルにて、やっています。
ぜひお越しください。
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
TEL・fax042-445-0487
携帯070-5083-6962
アドレス to.ke@mx1.ttcn.ne.jp

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