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一癖創作自転車家 狸サイクル 西東京 青梅街道 新青梅街道 伏見通り

ロード・ピスト系自転車に興味のある人。買い方乗り方が分からないという人。持っている自転車を改造してみたいという人。自転車のイベントに参加したいと思っている人。ご来店お待ちしています!

たまには学校教育について・・・



 何やら巷ではだいぶ流行っているようで、妖怪時計以来なの?映画も宮崎作品を抜く動員数とか色々言われているようですな。

 勿論、世の中の動きとはほぼ同期しない店主は、なんのことやらで、たまに小狸が「〇〇の呼吸」とか言ってたのはその影響か?と後から思う程度なんでありますな。

 この作品のおかげで、漢字から何とも読み起こせない世にいわれるところのキラキラネームから、〇〇左衛門、〇〇次郎なる古風な名付けが流行っているとも聞く。実に世の中というものはなあ・・・。

 とまあ、この作品をあれこれいうつもりもないんだが、ちょっと気になったことがこの秋起こったのでありました。

 秋といえば運動会シーズンですが、このコロナの中で大々的には開催できず、学年別に時間を区切って、保護者総入れ替え制でやったんだが。

 その遊戯系の練習を自宅二階で小狸がやっていたのを見た。

 あまりにも耳障りだった音楽だったもんで、それなんの曲?と聞いたら「鬼滅の刃」と抜かす。なんじゃそりゃ?

 学校で行うことは授業だけではなくて、そうした行事も含めて、すべて教育的配慮(狙い)の元取捨選択されているはずだ・・・。であるからして、そこで採用される事物は全て教材ということになる、ということは「鬼滅」はなんであれ、教材として扱われている、ということであろう。

 だとすれば、遊戯の選曲として「鬼滅」が選ばれた狙い、教育的配慮は一体なんなんだろう?と疑問を持ったわけだ。

 何かの機会に学校に問い合わせてみようかとも思ったが、いつの間にやらそのキッカケもなく、そのまま放って置かれていた。

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ところが、 昨今の変な行事の一つとして、十歳になった四年生の際に、1/2成人式っていうのがあるらしいが、その行事でも、演奏という形で披露する楽曲がなんとまた「鬼滅」ということなのだ。

 流石に眠っていた、学校に対する疑問符が起き上がってしまったね。なんでまた、この後に及んでまた「鬼滅」なのって?再度それを選択した教育的配慮ってなんなんだ?

 折しも学年の最終月になって、学校側から学校教育に関するアンケートなるものが来たので、これは渡りに船だとばかり、以下のような投稿をしてみたんだが・・・・。





学校教育に関するアンケート  別紙
いつも倅がお世話になっています、ありがとうございます。
教育に関する意見を募集されているということですので、思うところ少し書かせていただきます。
運動会に準ずるイベントと、また今回の二分の一成人式?に用いられる音楽、楽曲が今流行っているといわれている「鬼滅の刃」のものが使われている、ということらしいのですが、間違いは無いでしょうか?
私自身、件のアニメ等に詳しくないため、よく分かっていないところがありますが、それが本当だとしたら、流行の「鬼滅の刃」をそうしたイベントに取り入れることの教育的配慮って何だろう?と実はずっと考えてきました。
子供達が親しんでいる楽曲を使うことで、より楽しく音楽を親しんでもらおうとする?すでに頭に旋律があるので、上達も早く、本番で失敗する心配が無い?
色々考えてはみているのですが、今一その教育的意図が分かりません。もしあるようでしたら、是非ご教示お願いいたします。
ただ、先生方それぞれ、または学校の方針としての教育的配慮は何らかのものがあるのかもしれませんが、私自身としては、もう一つ踏み込んだ選曲なり、狙いを持ってもらう事はできないか?と思います。
学校教育とは何か?というような大上段の問題をここで論ずるつもりはありません。ただ、一人の親の希望として聞いていただければ幸いです。
私が思うのは、学校とはそれぞれの生徒や学生がすぐに「手の届かないもの」、「届きそうで届かないもの」、「気づかずに届きようもないもの」を提示する事が、主な役割ではないか?と思います。
それからすると、「鬼滅の刃」などはすでに子供達の手中に収めているものであります、中には先生方よりも詳しい子供がいてもおかしくはないものであります。学校がわざわざ提示するような内容のものではないんじゃ無いか?と思われるのであります。
例えば、とある地域の少数民族の曲をアレンジしたもの・・・というものを採用しようとします。
すると、そのとある地域、例えばタイの北部から中国南部の山岳地帯にいる少数民族とすれば、そこで地図が登場して、地域的にはこの辺の人たちね、と地理の勉強になります。
そして、少数民族というのは?という説明で、国民国家、民族国家、その地域の政治状況、人類学的な状況などを学ぶ切っ掛けにもなるでしょう。
そして、その音楽の特徴は?というところで、音階、スケールの話、近隣の少数民族との類似と違い、または日本の民謡などとの比較文化の話にも広まっていきますよね。
そして今だったら、ユーチューブ等で映像をもってそれらを直に見聞することも出来ます。生徒の中には、それを切っ掛けにそうした分野に興味を持つこも出てくるかもしれませんね。
そしてそれらの知的な好奇心の切っ掛けになることがらの、多くは子供自らの手では届きにくいところにある、そうしたものを多角的に提示していくことが学校の主な役割なのではないか?と思うのであります。
私は中学二年の時に、国語の教科書で魯迅の「故郷」に触れました。依頼、今も魯迅を敬愛して愛読している次第です。当然、当時の中二の私にとっては魯迅は手に届くところにはなかったわけであります。そういう意味で学校教育のいくつかの側面には感謝している次第です。
そして、ここからはいつもの論となりますが、そうした教育を可能にするには、先生方をより自由にしてあげることなのではないか?と思います。
つまらない仕事から解放して、できる限り授業や子供と向き合う時間に集中できるような労働環境にすることが大事なのではないか?
四時台には退勤して、様々な勉強会・交流会、趣味、演劇鑑賞、映画鑑賞、ライブ鑑賞などに使える時間を増やして、いい意味で余裕を持って、子供達に伝えるべき何かを温めるための時間を十分に取れるようにすることなのではないか?と思います。
そのために親やPTAの出来ることはないか?と思いますね。
話がドンドンずれそうなので、この辺にいたしますが、以上述べた内容につきまして、検討する値がある内容でしたら、よろしくお願いいたします。
改めまして、現実にこなさなければならない日常の忙しい業務の中で、日々子供達の教育へ情熱を持って取り組んでいただいている事に関しまして、感謝しております。
今後とも先生方、子供達にとってよりよい教育環境を実現できるよう願っています。



 とまあ、最後は持論の学校の先生解放論で締めたんでありますが、単純にいえば、駄菓子と正規の菓子を分けてくれ、ということでもありますな。駄菓子なんてあんなもの大人が教えなくても子どもは勝手に探し出してなんとかして手に入れて親に隠れて食うもんだ。

 まさか正規の三時のお八つに駄菓子を出す親はいないだろう(たまにはいいが)。または家庭科で駄菓子の作り方を教える事もないし、そんな必要もない。あんなもの自分で作りたくなったら、それこそユーチューブで探し出して、なんとか自分でやれ!でいいんです。

 つまり、裏で食べるべき駄菓子を表(教育)で食べさせたり作らさせる必要はないということ、裏には裏の、表には表の秩序ってもんがあるんで、教育は、少なくとも初等教育については表街道でいってもらいたいと思う、ということなんだな。

 勿論高校生とか中等教育、高等教育でもって、漫画を文化として研究するなんていうのは、全く問題はない、大いにやってもらいたいとすら思うところだ。

 というわけで、一人で書いたことの是非ってもんが、ちょっと理解されにくいことかもしれないと思って、自転車とは全く関係ないところで、公表してみた次第であります、また次回以降自転車に戻ります!
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プロフィール

狸サイクル 店主 遠山健

Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。

 店の所在
〒202-0014
東京都西東京市富士町6-6-13
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